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私達は一つの者へと回帰する中で知性を重ねながら感性との釣り合いを取ってゆく。

記憶から辿り自分の存在の断片を拾い集める旅をするなかで、現在の個の欠片を過去に少し置き去りにしながら、同時に何も失わず、靄に迷ったままの自分と並行して旅路を進める。

足を進める手掛かりとして私達は器官を使い観測できる感覚に依存して、つまりは五感を媒質にして、記憶と云う空想を形而下の想像へと昇華させている。そして新たな心運動を起こす。 火をつけ熱を生み出し煙を上げて香りを漂わせ、それを吸い込む。

人間が現代社会から逸脱せずさらには無造作に行える動作、循環は人間の営みと自然の理との境界を曖昧にし互いに作用しながら道筋を照らし合うのではないだろうか。

私達の存在の根源はとは自然の構造そのものなのなもしれない。

私達の記憶と云うとは必然的に曖昧であり、それ故に時間と空気と共に混ざり合い変化しながら解決される事のない場所をつくりだす。

そこから得られる感覚は白昼夢の様に受動的な多幸感のある美しい直感の一つであり、否定的な物を遠ざける事ができる、現代に必要な物なのではないだろうか。

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